木曜日, 1月 11, 2007

SHIFT_the future

「娘の親友でいること」「娘の憧れであり続けること」
これは、桐島かれんを起用した日産プレサージュのCMコピー。カシスソーダ色のプレサージュが雨の街を、一転して輝く夜の街を「Time after time」(原曲Cyndi Lauper)の曲に乗せて駆け抜ける。
車は商品であり、CMはイメージを誘発させて商品を引き立てる。特定の商品購入者層に偏ったイメージ戦略も当然の行為である。しかし、最近の日産のCMを見ていると、どうも気になる。いや、正直なところ不快に感じる。
「娘の親友でいること」一般的にも言われていることだが、保護者責任の回避と解釈される場合がある。当然、親であり親友である素敵な関係を主張しているのであろうが、現代風のバーチャルな考え方、表面のキレイなものだけを見て、本質をないがしろにする中身のないコピーともとれる。「娘の憧れであり続けること」憧れの対象であり続けるということは、娘の憧れを想定しての考えであり、それを独断で演出するわけである。憧れる対象は、それぞれの感性や年齢、社会的な立場によって変わるものだが、それを認めていない。または自己満足。娘をひとつの個性として見ることが出来ない母親像が浮かびだされる。これが、ポルシェやアルファーロメオのCMなら何もこのような想定には至らない。なぜなら、それ自身が非日常性をもたらす存在だから。日産プレサージュのCMは、美しい映像ではあるが、過剰主張でありバランスが悪い。車にモダンリビングが必要か?とか、韻の踏み方が強引なセレナCMとか、わけのわからない縫いぐるみ動物が登場し、偽善的に環境性能を主張するLEV・CMより倫理観を疑われても仕方のないものと考える。

「あなたを輝かせるプレサージュ。」その輝っていったい何?

http://www2.nissan.co.jp/PRESAGE/U31/0605/CONCEPT/main1.html

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